
八王子田町遊郭 八王子 2022/03/04
田町は、長方形を横に置いた縦110m、横150mの小さな町で、丁番を持たない単独町名です。
一番広い道路(通称、大門通り)が、遊郭の道で、入口にはシンボルの大門が立っており、道の両側には妓楼が約20軒存在し、一番奥には警視庁管轄の病院があったそうです。
北側(浅川方面)の敷地のレイアウトは、当時の地と変わらないような気がします。
戦後には、アメリカの駐留軍の慰安場所になり、アメリカ軍の長い列ができたそうで、1958年の売春防止法まで続きました。
ここは、娼妓約100人位、吉原の3,500人、洲崎の2,900人に比べると、小規模の遊郭でした。
【八王子田町遊郭 八王子 2022/03/04】
ユーチューブで八王子田町遊郭を見つけました。
八王子花街でなく、遊郭です。初めて聞きました。
ざっくり下調べをして、行ってみました。
甲州街道を高尾方面に行くと、右手にりそな銀行が見えます。
手前の道を直進すると、浅川に架かる暁橋にぶつかりますが、
左手に場違いな広い道(橋から手前の三本目の道)が現れるので、ここが大門通りになります。
前にもここを通りましたが、表示板や標識などが何もないので、全く気が付きませんでした。確かに、広い道だなと思っていましたが。
江戸時代には、街道の宿場には雑用を含めて客を相手する飯盛女を置いていました。
甲州街道も同様で、宿場の旅籠で働く飯盛女がセットで提供されたそうです。
(余談:もう、50年前のことですが、20代で、ウィークデイのオフシーズン北陸旅行をした際、山代・山中温泉で、宿の従業員風の方から、宿代、食事代、女性付きで3万円でどうと誘われたことがあります。当時風習の名残でしょうか。)
その後、旅籠兼飯盛女は妓楼として営業したことが、八王子遊郭の始まりだそうです。
元横山町に分散していた妓楼が大火事で焼失し、1890年後半に田町に遊郭として集約されたそうです。当時は、田んぼしかなかった為、田町と命名され、当時の地図では、「新地」と記載されています。
参考:八王子田町遊郭(東京都八王子市)|遊郭・赤線跡をゆく
八王子の街を支えた遊郭「八王子遊郭(田町遊郭)」の歴史を調査してみた!
八王子の旧赤線地帯 田町遊郭跡(妓楼跡)をぷらぷら歩く
youtube 【吉原遊郭だけじゃない】八王子遊郭を散策
暁橋に向かう道路、この辺は昔の雰囲気を感じさせます。
この先は、道幅が半分になります。

左手にびっくりドンキー

浅川に架かる暁橋

暁橋の傍にある石碑

浅川
すぐそばに浅川が流れています

浅川

大門通り、この辺にシンボルの大門があったようです

大門通り

田町の風景
八百福

田町の風景
八百福:旅館・料亭だった建物が昔のまま残されていました。
現在は、デザイン事務所になっています。

旧妓楼だった建物
福田荘というアパートになっています

旧妓楼だった建物
赤い面格子が印象的

旧妓楼だった建物

田町の風景
カキノキテラス

旧妓楼だった建物



田町の番地
丁番を持たない単独町名
ここは、田町 5

田町の風景

田町の風景、大門大通りを進むと、だんだん道が狭くなります。
ここは元横山町です

田町の風景

田町の風景
「ウィキペディア」遊廓は、周囲を塀や堀などで囲った区画のこと。
田町遊郭も大門、側溝・塀に囲まれていたようです

田町の風景

旧妓楼の裏手の風景

田町の風景

田町の風景

旧妓楼の裏手の風景

旧妓楼の裏手の風景、随分大きな建物なのが判ります

旧妓楼の裏手の風景

旧妓楼の裏手の風景

旧妓楼の裏手の風景

田町の風景
大門通り

田町の風景
大門通り

田町の風景
大門通り、左手に旧妓楼

田町の風景
大門通り、八百福

田町の風景
大門通り

帰りに、八王子花街にも立ち寄りました。

八王子花街



